前回に引き続き先祖の話をしたいと思います。
おじいちゃんが買った大量のガラスをおばあちゃんがどうしたのか!?
まずは駄菓子屋をやめてガラスを売ることにしたそうです。聞いた話では、自分の父がまだ幼い頃で、おばあちゃんがリアカーを引いてガラスを売って歩くのを父がお手伝いして、少しずつ借金を返しながら営んでいました。
そんな中、入善方面にガラスを売りにリアカーを引いている時に、おばあちゃんは、黒部川の橋の上で、引いているガラスを全部川に投げ捨てて、自分も一緒に死のうと思ったことがあると言っていました。
今なら数分で入善方面に車で行けますが、当時は歩いて移動なだけあって、どれだけの時間をかけて運んでガラスを売っていたのか、相当な苦労があったんだなと感じながら話を聞いていました。
そんな苦労を乗り越えて、夜間高校に通いながら、おばあちゃんの手伝いを経て、富山市のガラス問屋に父が丁稚奉公に行くようになりました。そこで修行をさせていただいた父は、昼間一生懸命働き、夜勉強するという生活を送ったそうです。
その後一人前の職人となって、おばあちゃんから父の代にバトンがつながれました。そのガラス問屋が現在のAGC北陸硝子建材株式会社さんで、今でもお付き合いをさせていただいており、紙屋ガラス建硝で取り扱っているガラスのほとんどを仕入れさせていただいております。
今から50年くらい前、父は現在の会社工場を地元の鉄工所さんにお願いして建ててくれました。その5年後にようやく私が3人姉弟の末っ子長男として紙屋家に誕生しました。
おばあちゃんが必死にリアカー引いてガラスを売って生計を立ててくれたおかげで、ガラスを全部黒部川に捨ててしまわなかったおかげで、自分がこの世に生まれることができたんだと最近ようやく気付くことができ、おばあちゃんが生きている間にちゃんと「ありがとう」って伝えられたらよかったと後悔しています。
父と母の代の話は次回にしたいと思います。
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- 2022/07/29(金) 09:44:46|
- 社長日記
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